『狗奴国解明早わかりガイド』 なんと二か国ありました。 本文へジャンプ
      卑弥呼Xファイル・メイキング
黒澤一功の
古代史論にようこそ
 卑弥呼Xファイル』の著者がおくるネタバレ」
Symbols are language that can help us understand our past.」 シンボルは言語であり、過去を理解する助けとなる。(ダビンチ・コード)

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狗奴国は句麗國の別称です。狗奴国にはONE・TWOと二か国ありました
魏志倭人伝に2か所書かれている狗奴国(くなこく)が句麗國(くれこく)であると分かったら、邪馬台国についての数々の学説が、根本的に違っていたということになります。あなた、倭国が戦っていた相手が狗奴国なのですよ。敵国の正体が露呈したら、さあ、歴史がひっくりかえります。さあ、たいへんですよね。
狗奴国は、一カ国ではありません。
 二か国のうち、狗奴国_1の句麗國は高句麗で、王は第11代の東川王です。狗奴国_2
の句麗國は伯濟国(百済)で王は第8代古爾王です。魏の王頎と相連合して卑弥呼が戦ったのは高句麗の東川王でした。
「狗奴国が二か国ある」ということ、そして史上の人物名まで完全解明したのは、わたしが初めてです。小著、『卑弥呼Xファイル』は、日本の『ダビンチ・コード』になるはずなんですが・・・?
伯濟国

3世紀にあった方位磁石「指南魚」
 右の写真は「指南魚」と呼ばれ、一種の羅針盤でした。なんと2500年前、最初に磁石にN極とS極があることに気づいたのは中国人だったのです。戦国時代にはすでに、実用化されていたのです。3世紀頃より中国で使われた、コンパスの元祖とも言える道具が「指南魚」(しなんぎょ)です。魚をかたどって彫られた木片に磁石を埋め込み、水に浮かべると魚の頭が常に南を向く仕組みになっています。南の方角を指す魚なので、指南魚と呼ばれました。
こうしたことで、中国の後漢、それに次ぐ魏・晋の官吏は、今日でいうコンパスのような「指南魚」で方位を測っていたのです。
 「指南魚」が使われていたのは三世紀。これは卑彌呼(174-249)の時代ではありませんか。あなた、古代中国の科学知識をあまり馬鹿にしてはいけませんよ。

移動式コンパスは紀元前に中国ではすでに軍用目的で使われていました。
中国の戦国末期、指南車という「移動式の方位測定器」がありました。指南針を埋め込んだ人形の手がいつも南を指し示すのです。2600年前、紀元前500年ごろから軍事的に使用されていました。王充の論衡には、「司南之杓,投之於地,其柢南指。」と書かれ、指南針の使用がそうとうに普及していたことを伺わせます。
 画像のように先端にある木像の人形の手が南を指すように設計されています。因みに、「指南する」という日本語は、この指南針からきているのです。諸葛亮は兵器にいろいろと工夫をした人物ですが、諸葛亮が好きそうな軍事品ですね。

卑弥呼の時代、東北アジアでは方位は真北よりも東に傾いていました。
磁石の指す方向は、N極が北をさすということは知っていても、真北を指していないということを知ってましたか? 真北というのは、「しんぼく」と読み、地球の地軸の先にある北極星の方向のことです。磁石の方位は真北から西に傾いています。現在東京では平均、約7度ほど西に傾いています。これを、西偏しているといいます。方位偏差というのですが、7度も違うのですから、あなた、磁石だけを頼りに遠くへ行くほど、目的地からは離れてします。
 卑弥呼の時代は、方位偏差が東偏だった事実が磁気考古学で判明しています。現代は西偏ですが、AD200年ごろは、東に10度近く東偏していました。魏志倭人伝の頃の帯方郡の磁方位は、方位偏差を加えて修正しなくてはなりません。仮に3世紀初頭のGPSの地図を想定しますと、東南135度の方位角に、8度ぐらい足して、143度が当時の磁方位・東南になります。方位143度というのが陳寿の描いていた東南なのです。そこで、143度にチューニングしてGPSシミレーションしなくてはならないのです。やってみてください。

 驚くべき結果が得られました。143度ラインに、帯方郡・ソウル・釜山(金海)・対馬(上島)・糸島(筑前前原)・吉野ヶ里が一直線上に並ぶのです。郡ー狗邪韓国ー對馬―末盧国ー伊都国とは、この143度ラインに並んでいたのです。これはGoogle Map 距離測定で再現できるという意味で科学的証明なのですよ。次に、下のコラムをご覧ください。

過去2000年の磁気方位角推移グラフ

東北アジア史を知らなくては、あなたの頭は鎖国時代と同じですよ。
あなた、郡より倭まで、そして、郡から女王国まで東南12000里と魏志倭人伝に書かれているのですよ。郡は出発点で、女王国を終点とする直線なのです。出発地である郡とはどこでしょうか?
 帯方郡です。著名な邪馬台国論者は、帯方郡がソウル周辺だというんですが、ソウルには、伯濟国という国が西暦55年からあったのです。卑彌呼と同年代の王は古爾王です。なんと、あなた、この王は正始7年に魏の帯方太守弓遵(きゅうじゅん)を戦死させてしまったのですよ。そして、古爾王に官を与え侯王にしていたのは呉の孫権だったのです。
ゆえに、女王に服属していない国が現ソウル一帯にあったのです。こうして、ソウルに、帯方郡治がないということは猿でもわかることなんです。
わたしは、大同江の南支流の沙里院の近くに帯方郡治があったと考えています。ところで、沙里院市は河の港で小舟なら海にでることができたのですよ。それも、MAPを拡大すると分かります。

GPS_時代になっても、あなた、鎖国時代の学者の説を鵜呑みにしますか?
そうですね。江戸時代の新井白石先生がどんなに知識がある人でも、やっぱり鎖国時代に生涯を過ごした人なので、世界観には限界がありますよね。
わたしは、[Google Map]で地名を総当たりしました。[Google Map]という武器を使わない手はありません。とくに、末盧国、伊都国、奴国までは学会に異論がないというけれど、発端が名前が似ているということが優先してますから、方位や距離については、つじつまを合わせるのが困難になるのはあたりまえです。論理的にはおかしいのです。私は、プログラマーのはしくれですので、名称を”NAME_X””NAME_Y"のようにして方位と距離を優先して、緯度経度を先に代入して場所を特定するという手法を取りました。右の図の下の方のバルーンは、奴国ですよ。ここに、伊都国の津(波止場)があったのです。
伊都国から奴国まで奴国は筑紫川の港だった

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