陳寿は方位磁石を使っていた! 本文へジャンプ
狗奴国は2か国あった!
陳寿はコンパスを使っていたことを証明する!   「卑弥呼Xファイル」の著者がおくる最新情報:
Symbols are language that can help us understand our past.」、シンボルは言語であり、過去を理解する助けとなる (ダビンチ・コード)。

3世紀にあった方位磁石「指南魚」
 右の写真は「指南魚」と呼ばれ、一種の羅針盤でした。なんと2500年前、最初に磁石にN極とS極があることに気づいたのは中国人だったのです。戦国時代にはすでに、実用化されていたのです。3世紀頃より中国で使われた、コンパスの元祖とも言える道具が「指南魚」(しなんぎょ)です。魚をかたどって彫られた木片に磁石を埋め込み、水に浮かべると魚の頭が常に南を向く仕組みになっています。南の方角を指す魚なので、指南魚と呼ばれました。
 こうしたことで、中国の後漢、それに次ぐ魏・晋の官吏は、今日でいうコンパスのような「指南魚」で方位を測っていたのです。
 「指南魚」が使われていたのは三世紀。これは卑彌呼(174-249)の時代ではありませんか。あなた、古代中国の科学知識をあまり馬鹿にしてはいけませんよ。

移動式コンパスは紀元前に中国ではすでに軍用目的で使われていました。
中国の戦国末期、指南車という「移動式の方位測定器」がありました。指南針を埋め込んだ人形の手がいつも南を指し示すのです。2600年前、紀元前500年ごろから軍事的に使用されていました。王充の論衡には、「司南之杓,投之於地,其柢南指。」と書かれ、指南針の使用がそうとうに普及していたことを伺わせます。
 画像のように先端にある木像の人形の手が南を指すように設計されています。因みに、「指南する」という日本語は、この指南針からきているのです。諸葛亮は兵器にいろいろと工夫をした人物ですが、諸葛亮が好きそうな軍事品ですね。

卑弥呼の時代、東北アジアでは方位は真北よりも東に傾いていた。
磁石の指す方向は、N極が北をさすということは知っていても、真北を指していないということを知ってましたか? 真北というのは、「しんぼく」と読み、地球の地軸の先にある北極星の方向のことです。磁石の方位は真北から西に傾いています。現在東京では平均、約7度ほど西偏しているのです。これを方位偏差というのですが、7度も違うのですから、あなた、磁石だけを頼りに遠くへ行くほど、目的地からは離れてしますのですよ。
 卑弥呼の時代は、方位偏差が東偏だった事実が磁気考古学で判明しています。現代は西偏ですが、AD200年ごろは、東に10度近く東偏していました。魏志倭人伝の頃の帯方郡の磁方位は、方位偏差を加えて修正しなくてはなりません。現在のGPSの地図では、東南135度の方位角に、8度ぐらい足して、143度が当時の東南になります。方位143度というのが陳寿の描いていた東南なのです。143度にチューニングしてGPSシミレーションしなくてはならないのです。


過去2000年の磁気方位角推移グラフ